愛西市の道の駅で朝を迎え、昨年も来た瀬戸を通って、その時は行けなかった明智の里へ。
途中、あまりに美しい紅葉が目に入ったので車を停めたのは、土岐市の曽木公園。
大きな公園ではありませんが、これは見事。
多くの見物客が来ていました。
現恵那市の、明智町に着きました。
昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」で脚光を浴び、裏切者イメージからの脱却を果たした、明智光秀ゆかりの地。
私個人は、30年以上前「国盗り物語」を読んだ時から、信長や秀吉より好印象を持っていました。
明知鉄道の終着駅でもあります。
沿線に大きな町も無いのに、廃線にならずによく頑張っています。
鉄道名と駅名で、微妙に漢字が違うのが不思議。
八王子神社には、光秀手植えの楓が。
綺麗に色づいています。
続いて、龍護寺。明知遠山氏の菩提寺だとか。
入口に、光秀の墓所が!これは知りませんでした。
しかし調べてみると、光秀の墓所とされる所は全国に幾つもあるようです。
明知城跡は山城で、軽いハイキングコースです。
ここは光秀が居たわけでは無いみたいですが、町のシンボルとして訪れないわけにはいきません。
ここも紅葉が綺麗。
中腹には、光秀が学んだという天神神社もあります。
大正ロマンで売り出す古い町並みも堪能してから、
明知鉄道とほぼ同じルートで20㎞ほど走り、恵那市の中心部へ。
ここの図書館を訪ねます。
街に入って国道19号線を超えるとすぐ、なかなか立派な図書館がありました。
横にはSL(C1274)が置かれています。
玄関は何とも重厚な構え。
この図書館には、伊藤文庫なる別名が付いています。
その名の由来は、その成り立ちにありました。
スーパーの「バロー」創業者、伊藤喜美氏が平成19(2007)年に建設、蔵書も含めて寄付したものとのこと。
建設資金を出したのではなく、建設してから寄付したとは。。
これは驚きました。
ちなみに、先ほど明智の町で車を停めていた日本大正村の前にも、バローの店がありました。
しかしここのすぐ横には、別のスーパー(生協)がありますが。。
(この後、駅の方に向かった際は、やはり途中にバローがありました)
中も広々としています。
床、本棚、壁に木材が多用され、
三角の天井は高く、二階まで吹き抜けになっています。
巨大な山小屋のようです。
SLが見える窓際には、源氏物語コーナーがありました。
教育家で歌人の下田歌子が、源氏物語を用いて当地で女子教育を行ったのが縁で、
源氏物語に関する資料を集めているとのこと。
また、下田女史は、「明治の紫式部」と呼ばれるほどの美貌でもあったとか。
源氏物語は決して教育的な内容ではない、と個人的には思っていますが。
視聴覚資料は朗読、落語、文化資料ばかりで、
映画、音楽はほぼありません。
コンピュータの本も、規模の割には寂しめでした。
二階は郷土資料。
市内の古墳から出土した土器が飾られていました。
資料は豊富で、恵那市資料だけで棚四面分、岐阜県の資料も揃っています。
西行の資料がたくさんあるのですが、どういう縁なのか説明が無く分かりません。
調べてみると、西行が晩年を過ごしたのがここ恵那で、葬られたのもここという説があるそう。
郷土の偉人として、先ほどの下田歌子の資料も。
気になっていたその顔も、本の表紙で拝むことができました。
地方歌舞伎のDVDなども置いています。
一階を見下ろす位置には学習席が並んでおり、勉強する中学生で埋まっていました。
蔵書数は約23万冊。
一個人の私財で造られたとは信じがたい、立派な図書館でした。
郷土資料コーナーで、中山道の大井宿が近くにあると知り、行ってみました。
川越街道の大井宿が家の近くにある縁で、中山道にも同名の宿があるのは知っていたのですが、詳しい場所は分かっていませんでした。
図書館から北に1㎞ほど、恵那駅の近くでした。
明治天皇大井行在所を見学。
入場無料で、ボランティアの方が案内してくださいます。
旅の途中にたった一泊しただけですが、
大規模改装したり、専用の風呂やトイレを作ったりと、大変な労力がかかっているとのこと。
果たして名誉だったのか、迷惑だったのか、当時の人の心情は分かりません。
戦国時代から明治・大正、そして平成に生まれた新たな資産の図書館、と思わぬ歴史散歩となりました。