図書と旅

旅行と読書が趣味。旅行先で訪ねた図書館の紹介などを綴っていきます。

港区立台場図書館(東京都)

2年ぶりのモビリティショー見学に、東京ビッグサイトにやって来ました。

最初に見たのは、ホンダのブース。前面に車ではなく、ホンダジェットやロケットが展示されています。

モーターショーではなくモビリティショーになったのだ、ということを痛感したのですが、、、
一通り見てみると、やはり中心は車。
むしろ前回以上に車に回帰した気もしました。

女性白バイ隊員のデモンストレーションも観ることが出来ました。

帰りに近くの図書館にも寄ろうとスマホで調べてみると、お台場にあるのを発見。
過去に何度か、ビッグサイト帰りに図書館を調べたことはあったのですが、これはノーマーク。いつの間に出来たのだろう、と思いつつ行ってみることにしました。
ビックサイトから歩くこと20分ほど、江東区からいつの間にか区境を越え、港区へ。

ゆりかもめの線路を跨ぐこと二度、目の前に大きなビルが。

ここの三階に、図書館の玄関がありました。歩道橋に直接繋がっているので、三階という実感はありませんでしたが。

正面にカウンターがあり、職員さんが一人鎮座。館内は左右に伸びています。

左が一般書。奥はL字に曲がっています。
それにしても、利用者の姿が見えません。
23区内でこんなに空いている図書館は初めてかも、と思ったら壁際にある座席は結構埋まっていました。

本棚には、大きく番号が振られています。
新しい図書館ですが、蔵書はかなり草臥れた文学全集など、古いものも見られます。

コンピュータの本は百冊足らず。技術的な本はほとんどありません。
雑誌は50誌ほど。
外国語図書も数十冊ありました。

郷土・行政資料の棚には、江川太郎左衛門なる人物の本が何冊か。誰?どこかで聞いたような、、と思ったら、韮山反射炉を作った人でした。
国防にも貢献した人のようで、ここお台場の築造にも携わった縁のよう。

CDがなかなか豊富。背表紙に白いテープを貼ったケースに統一されているので、ぱっと見新しいのか古いのか分かりませんが、やはりちょっと古め。

カウンターから右の方は児童書。
奥には、板張りのおはなしコーナーもありましたが、右側の面積は左側の1/4程度。
カウンター左側の方にも、少し児童書はありました。が、この時は子供の姿は全く無し。平日の夜7時なので、当然かもしれませんが。

玄関脇には、リサイクル資料も少しだけ置いていました。
この図書館単体での蔵書数の情報は見つかりませんでしたが、10万冊に満たないくらい思われました。

ゆりかもめお台場海浜公園駅は、すぐ目の前。開業30周年とか。

裏手には東京湾。レインボーブリッジが輝いていました。

台場図書館 | 港区立図書館

中国国家図書館(北京市,中国)

今回の旅は、行きも帰りも北京で長い乗り継ぎ時間があります。
ということで、帰りも北京観光。
しかし入国手続に時間がかかり、思っていたほどの時間はなくなりました。
行きと同様、地下鉄で街へ。終点の一つ手前、東直門で下車。

駅を出ると、目の前のビルの中にフードコートがあったので、ここで朝食。

数年前にできたらしい、北京城市図書館に行こうと思っていたのですが、交通の便が良くないことが分かったので断念。せっかくの首都北京なので、地下鉄の駅とほぼ直結の国家図書館に行くことにしました。
思いがけず、ウズベキスタンと中国、連日の国立図書館比べとなりました。

再び地下鉄に乗り、一回乗り換え、国家図書館駅で下車。
外に出ると文字通り、目の前にありました。

蔵書数3000万点超、世界3位の規模という、大国の国家図書館。それに相応しい貫禄があります。

荷物検査はありますが、誰でも入館可。

入るとすぐ、目の前には国家典籍博物館がありました。

書の歴史、その保存活動が紹介されていました。
玄奘三蔵が持ち帰った書の保管先として、日本の寺も紹介。

奥の方に行ってみると、廊下に目録カードの棚がずらりと並んでいまる所がありました。
日本の本も多いな、と思って見ていると、棚の上には日本図書署名目録と書かれていました。

その後も館内をうろうろしていると、展示室が幾つも。
甲骨文字についての展示。漢字の成り立ちが学べました。
永楽大典の紹介も。中国最大級の百科事典のようなものですが、世界に分散していて、日本にも多数保管されているとか。
中々面白い所ですが、図書館というより博物館。
と思いつつ左奥の方に進んでいくと、ようやく図書館らしいエリアがありました。

多くの部屋があり、利用証を作れば入れるようなのですが、もうあまり時間がないので作成は断念。

四階に日本出版物文庫閲覧室があるようなので、そこは覗いておきました。
閲覧室には利用証で入れるようですが、書庫部分は閉架で、入れないよう。外から覗いた範囲では、確かに日本語の本が並んでいました。
鞄は部屋に持ち込めないようで、入口の前に鞄が多数置き去りにされているのが平和的な光景でした。

創設は1909年、現在の施設は1987年建立とか。

入った時とは別の玄関から出ると、緑に溢れる公園になっていました。
こちら側にも地下鉄駅の入口がありましたが、入口からホームまでが結構遠い。
慌ただしく地下鉄を乗り継ぎ、空港へ。面倒な手続きを経て、無事日本に帰国しました。

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Alisher Navoiy nomidagi O‘zbekiston Milliy kutubxonasi(タシケント,ウズベキスタン)

ウズベキスタンでの最終日。フライトは夜なので、ほぼ1日タシケント市内観光です。
ホテルから延々と歩き、中心地にあるナヴォイ劇場へ。

終戦直後、多くの日本人抑留者が建設に携わったとか。それを伝えるレリーフもありました。

1966年の大地震にも見事に耐え、造りの確かさを称賛されたそう。

この辺り、東京で言えば上野と霞ヶ関を合わせたような都心部だと思うのですが、とにかく道が広くて、古い建物が多く、閑散としています。
まさにソ連の地方都市という感じ。

何だか分かりませんが、レトロな建築も。

少し北に歩くと、国立図書館がありました。
長い館名は、アリシャー・ナヴォイの名に因んだウズベキスタン国立図書館、の意。
どうもウズベキスタンは、図書館名にも偉人の名を冠するのが好きなようです。
劇場の名にもなっているナヴォイは、15世紀の詩人のよう。

まるで神殿のようなゲートをくぐります。
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しかし、正面の玄関は開いておらず。
左右に同じような入口があります。
どちらに進むべきか分かりませんが、とりあえず右へ。
しかしこちらの中は、勉強部屋、カフェテリアがあるのみでした。
左の方に行ってみます。

図書館はこちらだったよう。
登録制のようで、登録カウンターがありました。
一回なら3000スム(約30円)という安さなので、登録しました。
ENTERの書かれたスペースから、エレベータか階段で上階へ上がります。

エレベータで一気に五階へ。
キッチンなど、小部屋がいっぱいあり、カルチャーセンターみたいな感じ。

四階に下りると、ようやく図書館ぽくなってきました。
WINDOW ON KOREAなる部屋がありました。ウズベキスタンに積極的に投資しているらしい韓国の本を集めているよう。しかしガラス扉は鍵が閉まっていました。

FOREIGN LITERATURE ROOMなる部屋も。
英語で分野分けされており、置かれている本もほぼ英語。
JAPANESE dictionariesなるコーナーを発見。
しかしあるのは和露、露和辞典のみ。しかも、半世紀は軽く経っているであろう古いものばかり。
Japaneseのコーナーもありましたが、本は10冊程度。
日本文学についての英語の本が大半で、日本語の本は、現代ソビエトSFシリーズ「半世界の島」、聖教新聞社「私の個人指導」だけ。意図的に集めたとは思えないので、誰かが寄贈したのでしょうか。
ウズベキスタンにおける日本語学習熱は結構高いのですが、ここはそれには応えられていない状況。

DISSERTATION ROOMもありました。論文ルームのよう。
その名の通り、棚には論文の冊子が並んでいますが、ここもパソコンを持ち込んで勉強している人が多く、資料はあまり見ていないような。

三階へ。
READING ROOM FOR STUDENT AND YOUTHなる部屋。
キリル文字の本が多数。
分野名もキリル文字だったりラテン文字だったり。

GENERAL READING ROOMもありました。
本はお飾り程度で、実質はやはり勉強部屋。
利用者はやはりほとんど若者です。

MUSIC READING ROOMなる部屋には、本の他に、ウズベキスタンの民族楽器ドゥタールなどが置かれています。
音楽関係の本を置いていると思われますが、やはり実態はただの勉強部屋。

続いて、INTERNET AND MEDIA CENTER。
パソコンが多数設置されており、DVDやコンピュータの本があります。
ソフト技術者にはおなじみの、オライリーキリル文字版もありました。

WINDOW ON TURKIYEは、トルコ関係の本。やはり鍵がかかっていました。

二階へ。
これまで、各階にDELIVERY DESKなるものがあったのですが、こおにはCATALOGS ROOM、ELECTRONIC CATALOG ROOMがありました。ここで本を検索、請求して、各階で出してもらうシステムだったよう。

NATIONAL LITERATURE ROOM
もありました。やはりこれまでと同じく、ほぼ若者の勉強部屋。

一階に戻ります。MUSEUM OF THE BOOKSなる部屋もありますが、クローズ。

Wikipediapによると、1000万点の所蔵数を誇る中央アジア最古かつ最大の図書館。1872年創設で、今の施設は2002年開設。
しかし実態は、国立図書館というイメージとは違い、巨大な学習スペースビル、という感じでした。
利用者の中心が圧倒的に若者というのも、日本の図書館とは異なるところ。

図書館の裏に回ってみると、なんと、劇場になっていました。

観光を続けます。
タシケントの中心と思われる、ティムール広場。

ティムール像は、ソ連時代の一時はスターリン像に代わっていたとか。
その背後にあるのは、やはりソ連時代からあるという、タシケントホテル。如何にも共産圏という感じで、何とも味わいがあります。

GoogleMapによると、広場の東の方にも図書館があるようなので行ってみました。しかし頑張って探すも、それらしき物は全く見つけられず、断念。

最後は、タシケントイスラム文化の中心という、イスラム文化センターの方に行こうと思っていたのですが、もう時間が足りないと判断。地下鉄駅から近い、チョルスーバザールに行くことにしました。
この日初めて地下鉄に乗ります。

チョルスー駅を出ると、そこがバザール。
観光客より地元民向けのバザールなので、お土産屋は多くないですが、かなり良心的価格という印象を受けました。

バザールのすぐ傍に、クカルダシュ・メドレセがあります。
見学可能ですが、現在も現役のメドレセ(神学校)のよう。
その横に、ジャミーモスクもあります。

ここも観光要素はあまりなく、信者のためのモスクという感じ。
最後に、素のウズベキスタンイスラム世界を見ることができ、満足しました。

ホテルに戻り、荷物をピックアップして空港へ。ついにウズベキスタンの旅も終わってしまいました。

O‘ZBEKISTON MILLIY KUTUBXONASI

ウズベキスタン日本センター図書館(タシケント,ウズベキスタン)

高速鉄道で、首都タシケントへ。
大人気というか、本数が多くないこともあり、出発前は全く切符が取れなかったのですが、直前になるとよくキャンセルが出るらしく、数日前に運良く取れました。

ホテルに荷物を置いて、再び街へ。地下鉄の駅も、荘厳で見ものです。

この日は金曜日。土日は開いていないようなので、この日しか行けない所に行ってみます。
ミング・オリクから乗った地下鉄を、ボドムゾル駅で下車。
お目当ては、右側のビルの中にあるよう。

少々入りにくいオフィスビルのような雰囲気で、受付で顔の登録が必要という物々しい警備ぶり。しかし簡単に登録、入館させてもらえました。
エレベータを六階で降りると、ありました。
JICAが運営しているという、ウズベキスタン日本センター。その中にあるという、図書室がお目当て。

入ると早速、日本人の方に声をかけられました。見学は歓迎のよう。
在住の日本人の交流の場でもあり、現地の人に日本語や日本文化を知ってもらうための場でもあります。
この日は映画鑑賞会があったそうで、上映は終わっていましたが、感想会?をしていて、部屋の灯りは消されていました。
少々暗い中、図書室を見学。

まず目に入ったのは、豊富な漫画。
やはりここでも、図書館では定番の手塚治虫、と思ったら、「NARUTO」「進撃の巨人」などの新しい作品もありました。

文庫本も多数。日本の図書館と変わらない品揃え。

雑誌も。「和樂」「にぽにか」など、あまり見かけないものを置いています。「にぽにか」は、外務省発行のよう。
ちょっと古い刊でしたが、「Number」「AERA」「non-no」などもありました。

西村康衆院議員寄贈、安倍首相ご訪問記念、東芝国際交流財団などのコーナーも。
英語の本、ロシア語の本も置いています。
児童書も少しだけありました。

さすがに学術書の類は見かけませんでしたが、色んな本が豊富に揃っていました。
仮に数年間ウズベキスタン駐在になっても、読み尽くしてしまう心配はなさそう。

その後は、思いがけない展開が待っていました。
道教室をやっているので見ていきますか?と言われたので見学させてもらいました。
奥の方に小さな和室が設けられていて、本格的な茶道が展開されていました。
この日の先生はウズベキスタン人。生徒もウズベキスタン人。でもそこにあるのは、正に和の空間。
お茶菓子はなんと、先生の自作とか。

夕食もどうですか?と誘われたので、居合わせた在住日本人の方々と一緒に行かせてもらうことにしました。
この近くにあるので行こうと思っていた、プロフセンターに案内してもらうことに。
歩いて向かう途中、テレビ塔タシケントタワーが聳えていました。

意外と辺鄙な所に、プロフセンターはありました。
ピラフの原型と言われる、名物料理プロフ。巨大なフライパンで色んな種類のプロフを作っています。

油で炒めているというより、油で煮ているという感じ。
ウズベキスタン料理はどれもこれも美味しいのですが、とにかく油が多くて、多くの旅行者はお腹を壊します。
私も少々食傷気味だったので、前日は韓国料理にしたのですが、旅も終盤なのでこの日は覚悟を決めていました。
毎食はちょっときついですが、間を置いて食べるとやっぱり美味しい。日本に帰ってからも、この味が恋しくなるかも。

その後は、スーパーや酒屋の買い物にも付き合ってもらい、ホテルまでのタクシーも呼んでもらい、すっかりお世話になってしまいました。
と同時に、ウズベキスタンの地で逞しく生きる、知識と行動力に溢れる日本の若者たちから、大いに刺激を受けました。

Library_jp

ILMIY KUTUBXONA(サマルカンド,ウズベキスタン)

プーシキン図書館の何軒か隣に、大学の図書館がありました。
帰り道に再び通ったので、ダメ元でこちらも覗いてみることにします。

科学図書館、のよう。
一般人が入って良いのか不明なので、遠慮しつつ入っていきます。
職員らしき人と目が合いましたが、会釈したら通してくれました。OKのよう。
中には、昔ながらの目録カードのチェストが置かれています。

廊下に背の高い本棚が並んでいます。
奥の方に行くと、何人かの職員さんが集まっている所があり、そこから一人出てきました。
先ほどの図書館と同様、エスコートなのか、監視なのか、ついてきます。
英語は通じるみたいで、図書館を見るのが好き、というのは伝わったよう。
廊下の横にはもちろん部屋があるのですが、そちらに入ろうとすると、首を横に振られてしまいました。
部外者が見て良いのは、廊下だけのよう。

よく見ると、同じ本が多数並んでいます。大学の教科書でしょうか。
分野名はウズベク語で書かれていますが、ブハラの図書館で学んだ通り、ほぼ英語の知識で解読可能。
科学に特化したわけではなく、幅広い分野の本が置かれています。
ここは、比較的ラテン文字の本が多いようです。

その隣は、おそらく大学本部。サマルカンド州立大学のよう。

学生街らしく、安そうな食堂がありました。

その中の一つで昼食。
安くて美味しい食事にありつけました。

大学通りの入口にあるのは、中央アジアの歴史的偉人アミール・ティムール像。

その後は昨日入りそびれた、町の北にあるビビハニム・モスクへ。

世界有数の巨大さのモスクとか。
世界一の書見台もあります。

そのすぐ隣にあるのは、シヨブバザール。

地元民と観光客が一緒になって、賑わっていました。

夜は再びレギスタン広場へ。美しくライトアップされていました。

A.S. Pushkin nomidagi Samarqand viloyat axborot kutubxona markazi(サマルカンド,ウズベキスタン)

ウズベキスタン観光の目玉、サマルカンドに来ました。
まずはその中心、レギスタン広場。

3つのメドレセ(神学校)に囲まれています。
今回の旅は日程に余裕があります。のんびりと北に向かいます。
やって来たのは、シャーヒ・ズィンダ廟群。

病の内部は豪華絢爛だったり、地味だったり。

翌日は町の南の方へ。
アミール・ティムール廟。

あいにく工事中でしたが、中は見学できました。

そのまま南に進むと、大学が建ち並ぶ学生街。その名もUniversity boulevard。こういう所は、どこの国でも安心感があります。
サマルカンドの駅から街に向かうバスの中で、流暢な日本語を話す学生さんに声をかけられたのですが、その人が下車したのもこの辺りでした。

州立大学と大学図書館がありました。ここも気になりますが、その更に先に、公共の図書館があるはず。
数軒隣に、ありました。

ブハラの図書館同様、ここも長い長い館名が刻まれています。

「A.S.プーシキンに因んで名付けられたサマルカンド地域情報図書館」という意味のよう。プーシキンはロシアの詩人。

外国の図書館は、入れるのか入れないのか一種の賭けなのですが、これは安心して入れそうな雰囲気。
実際、咎められることなく、中に入れました。
まず階段で地下に下りてみると、事務室などがあるのみ。
途中、裏庭への出口はありましたが。

二階に上がると、学習室、コンピュータ室などがありました。
しかし、やはり書棚は見当たらず。

三階に上がって、ようやく書棚がありました。
広間には初代大統領、カリモフ?の写真が飾られています。

ADOLAT HALLなる部屋に、学習机と本棚がありました。
後に調べると、ADOLAT はアラビア語で正義、公正などの意味とか。
大統領と思しき人やスティーブ・ジョブズロバート・キヨサキらの顔写真の載った本が見えました。

FOREIGN HALLは、外国語の本。日本語の本は見つけられませんでした。
利用者は高校生くらいの若者ばかり。
本棚を眺めていると、座っていた女性職員が近くにやって来ました。
微笑を浮かべながらも、無言でこちらにずっとついてきます。エスコートしてくれているのか、監視しているのか。

一階にはUZBEKISTAN HALL、その中に更にSAMARQAND HALlなる部屋がありました。
それぞれ、いわゆる郷土資料を置いているのでしょう。
CHILDREN'S CORNERは鍵がかかっていました。

歓迎されているのかいないのか、よく分からない感じでしたが、ロビーには顔出しパネルまであるので、多くの人に開かれてはいるのでしょう。

https://samarkand.natlib.uz/

Abu Ali Ibn Sino nomidagi Buxoro viloyati axborot-kutubxona markazi(ブハラ,ウズベキスタン)

北京から飛行機を乗り継ぎ、ウズベキスタンタシケントに到着。
入国、荷物のピックアップ、両替、SIMカード購入、駅への移動、を3時間以内にこなさなくてはなりません。しかも、飛行機の到着は1時間遅れ!
日本円の両替レートの予想以上の悪さはさておき、SIMカード購入まではすいすいと進んたのですが、当地で超有用なタクシーアプリは、SMS認証まで日本でやっておかなくてはならなかったことが判明。
時間のない弱みから、明らかにボッタクリのタクシーで駅まで移動する羽目になりましたが、何とか、ブハラ行きの夜行電車に乗れました。

タシケント南駅

今ひとつ寝心地の悪い列車でしたが、無事ブハラの駅に到着。
駅からバスで移動し、終点で降りてウロウロしていると、何が困っていると思われたのか、おばちゃんに声をかけられ、ツーリストポリスの集団がいる所に連れて行かれました。別に頼んでないんだけど。。
そこでも誰も英語は話せず。ポリスの一人が付いてこい、と言うように歩き出すので仕方なく付いていくと、ポリスのオフィス。そこでようやく、別に困ってないから大丈夫です、と、話して解放されました。皆親切なんだけど、正直この時はありがた迷惑でした。
ホテルまで歩いて荷物を置き、ようやく本格的に観光開始。

まずは、中心地にあるラビハウズへ。

ウズベキスタンの奈良とも例えられるブハラ。
確かに猿沢池に似ているかも。
これぞウズベキスタン、というメドレセ(神学校)に囲まれています。

しかしその中は、どこもかしこもお土産屋。

中央アジア最古のイスラム建築という、チョルミナル。

塔の上には作り物のコウノトリがいます。

この町に図書館があるようなので、寄ってみます。
町外れの南の方にありますが、幸いホテルからは近く、歩いて行けそうな距離。
観光客は全く来ないエリアですが、近くでは大規模な商業施設を建設中のようです。これが完成すれば、人の流れも変わりそう。
大きな道路を渡ると、ありました。

玄関にはやたら長い文字列が刻まれています。

どこまでが施設名なのか分かりませんが、どうやら国立図書館のよう。或いは国と地方の施設が同居しているのかも。

外国の図書館は、部外者が入って良い所なのか判断つかないことが多いので、恐る恐る入館。雰囲気的には大丈夫そうです。
ロビーにはSMART BOOK ZONEなるものがありました。本の表紙とQRコードが表示されていて、デジタル書籍のよう。
扉を開けて、奥の部屋に入ってみます。
机が並んでいて、皆がこちらを向いて座っているのでちょっと焦りましたが、咎められはしないので入ってみます。
座っているのは中学生くらいの子ばかり。
本は、キリル文字が主流のようです。独立後はラテン文字が公式とされているそうですが、30年以上経っても徹底されることは全く無い模様。

奥はキッズルームのよう。絵本などがあり、日本の図書館にあるそれと同じような雰囲気。

辞書コーナーには、日本語の本も少しありました。
分類名が現地語で書かれているものの、読めない、、と思っていましたが、よく見ると
MATHEMATIKA、FOLKROR、BOTANIKAと、ほぼ英語と同じスペルのものが多数。
KIMYOは何だろう?と思いましたが、調べるとChemistryのことのよう。

スマホでメモを取りながら見回っていると、現地語で注意を受けてしまいました。
カメラはダメだ、と言っているよう。カメラは使っていないと伝えたのですが、英語の通用率の低いこの国、別のおじさんも出てきて、同じことを言ってきます。
高圧的というよりは友好的だったのですが、結局外に出されてしまいました。

どういう施設なのか、結局よく分かりませんでしたが、とりあえず、この国の図書館の雰囲気は掴めました。

横には、誰か分からない像が立っていました。

後で調べると、館名にあるABU ALI IBN SINOはイスラム世界の著名な知識人だったようで、この像も恐らく彼だったのでしょう。

ブハラ最大のモスク、カラーンモスクも見学して、この日は終了。

翌日もブハラ観光。
少し町外れにある、アルク城。ここは穴場でした。

中の建物は博物館になっており、見応えたっぷり。
東の方に出ると一転、荒涼とした土地が広がっていました。

前日にバスを降りた、中央バザールも見学。

中心部の見所はほぼ見尽くしてしまったので、バスで郊外へ。
バハウッディン・ナクシュバンド建築群。

ここは人も少なめで、落ち着いていました。

https://bukhara.natlib.uz/