図書と旅

旅行と読書が趣味。旅行先で訪ねた図書館の紹介などを綴っていきます。

東村山市立中央図書館(東京都)

コロナ自粛生活の反動か、
最近は、週末は出かけずにはおれない気分。

朝から降り続いた雨が上がったのを見計らって、
バイクで東村山の図書館に行ってみることにしました。

東村山と言えば、言わずと知れた国民栄誉賞級コメディアン、志村けんの出身地。
今年3月、新型コロナウイルスの犠牲となり逝去、世間を驚きと悲しみに包みました。

埼玉県所沢市から、東京都東村山市へ。
ずっと街並みが続いているので、境界がどこにあったのかは分かりませんが、
来たる都知事選挙のポスターが沿道から目に飛び込んでくることで、東京都に入ったことが分かります。
東京都に来たのも、実に3ヶ月ぶり。

東村山は家から遠くないので、車やバイクで通ることはよくありますが、
いつも素通りするばかりで、立ち寄ったことがあるのは駅前のブックオフくらい。
しかし、そのブックオフはもう無くなっていました。

駅前から南に進む道は、その先に踏切があるので大渋滞。
しかし警察署が睨みを利かせているので、無茶なすり抜けもできず、おとなしく並んでいるしかありません。
警察署の先を左折すると、図書館があるはずのその道は、「インディペンデンス通り」との表示。
インディペンデンス??
はて、何から独立したんだろう??昔流行った、吉里吉里国みたいなミニ独立国宣言?
との疑問が頭の中を駆け巡っていると、図書館はすぐそこでした。
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その向かいと隣は、東村山市役所の庁舎。
都知事選の期日前投票のためか、給付金の手続きのためか、
休日だというのに役所の駐車場はえらく混んでいます。

図書館に入ると、やや古さを感じる建物です。
入口脇には、外国語資料の棚があり、韓国語の本が多数並んでいました。
近くには英語の本、その裏には中国語の本棚。
この3言語で1/3ずつで、他の言語の本は見当たりません。

正面奥には、参考図書室への扉が。
中に入ると、目の前にありました。「追悼 志村けん」のコーナー。
志村さんを扱った本や本人の著作が5冊、追悼記事を載せた雑誌が2冊と、ちょっと寂しめ。
他の本は貸し出し中なのかなと、検索機で「志村けん」「ドリフターズ」を検索するも、あまり出てきません。
演芸などの本の棚にも無かったので、元々このくらいしか置いていないようです。

この参考資料室はなかなか充実しています。
中央は半地下になっており、新聞縮刷版などが並んでいます。
外周は通路になっていて、壁沿いの棚には行政資料、辞典類、東京市史、東京府史などがずらり。
お隣の埼玉県史、所沢市史も置いてくれていました。

参考資料室を出ると、入口手前には、「ハンセン病を知る本」のコーナーがあり、関連本が置かれています。
国立のハンセン病療養所、多磨全生園がこの辺りにあるのは知っていましたが、所在地は当市だったようです。
その近くにある、国立ハンセン病資料館の案内パンフレットも置いてありました。
予定外でしたが、後で行ってみようと決意。

その脇には二階の学習室への階段がありますが、コロナ対策で封鎖されていました。
新聞、雑誌は普通に閲覧できましたが、
館内の椅子はコロナ対策で、半分ほどに減らされていました。

壁沿いの棚の上の方、梯子を使わないと手が届かない所には、滅多に手に取る人も無さそうな、
古めかしい哲学者、学者の全集などが大量に並べられていました。
カント全集始め、ルソー、プラトンアリストテレス和辻哲郎丸山眞男三木清内藤湖南、などなど。
レーニン全集まである!
これは、かなり渋い!なかなか他所では見かけません。

教科書採択の意見収集のため、見本の教科書が展示されていたりもします。
そして、AV資料、漫画は見当たらず。
市内の他の図書館と重点分野の住み分けをしているようで、この館はかなり堅め、渋め路線に徹しているように見えます。
2年前の統計によると、蔵書数は約20万冊。
開館は昭和49年とのこと。やはりそこそこの歴史がありました。

この図書館、内外装の補修などで昨年11月から3月まで休館していたそうで、
しかし3月になっても再開できずにそのままコロナ休館に入ったと思われ、
半年以上の長期に渡って休んでいた様です。
学校への本の貸出など、お休み中の活動内容を紹介した貼紙がありました。
市民の皆さんは、再開を待ち焦がれていたのでしょうか。
コロナ自粛明けに私が訪れた図書館の中では、一番人口密度が高かったように思います。

外に出て、市役所の駐車場の中を歩いていると、インディペンデンスの謎が解けました。
東村山市姉妹都市提携をしている、アメリカにある市の名前だったようで、その記念樹がありました。

中国において、砂漠緑化協力隊も出しているようで、その記念樹が隣に。
中国語の本が多かったのは、これが関係しているのかも?

村山駅前に、志村さん追悼に訪れた人が集まっているのをニュースで見た覚えがあったので、
献花台か何かがあるかと思い、駅に向かいました。
徒歩5分あまりで、西武線村山駅東口に到着。
しかし、特に、それらしきものは見当たらず。

地下通路を通り、反対側の西口に出ると、こちらも商店街はありますが、
人はかなり少なめ。
正面に「だいじょぶだぁ饅頭」のお店が目に入りますが、こちらにも特に何もありません。

スマホで調べると、東口の「志村けんの木」の前に献花台が設けられていたとのこと。
再び東口に戻ると、駅入口のすぐ横の、三本の欅が、それであることが分かりました。

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三本の欅が「志村けんの木」
「ここに花やお供え物を置かないでください」との掲示が出ており、
あいにく志村さんを追悼するような設備は、今は何もありませんでした。
ドリフターズの笑いと共に育った世代の身としては、いずれは銅像でも建てて欲しいものです。
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志村けんの木」の由来

東村山市立図書館 施設案内